13 〜後日の段。
初夏の候のいい気候がそのまま夏に向かって元気よく背伸びをしている日々。
気温の上昇のせいもあってか、潮の香りが日々強くなりつつあるものの、
海辺というより港湾の街という感のあるヨコハマの、
大通りからやや離れた中通り。
所謂 生活道路という級のひなびた路上を
アスファルトをバタバタと叩くような喧しさであたふたと駆け抜けんとする輩がいる。
「待てっ!」
追っ手があってのことからの必死の駆けようで、
時折 失速しかけてはたたらを踏みかかっているが、それでも今時の若いのにしてはなかなかの健脚。
捕縛されたらよほどに恐ろしい目に遭うものか、
それとも青春オワコンとなるような相当な悪さをしたものか。
フードの紐が汗まみれの顔へ貼りついているのも厭わずに
時々振り向き振り向きしつつ走っていたが、
徐々に距離を詰められているのが判ってか、往生際悪くも路地へと逃げ込み、
道の両側に控えめながら積まれてあった荷の箱を突き飛ばし、古紙の束を蹴散らし、
何なら追っ手の障害となるよう、空き缶やペットボトルを詰めたポリ袋を故意に取っ散らかす暴れよう。
「わあ。いけませんよ、こんなことしちゃあ。」
「賢治くん、片付けるのは後でいいから。」
追っ手のうちのお行儀のいい組が、
お住いの皆様のご迷惑ですよぉとかどうとか
聞きようによっちゃあ暢気そうなやり取りを交わすのを塗りつぶし、
「…羅生門っ。」
鋭いお声が轟いたと同時、路上を真っ直ぐに翔った鞭のような影一閃。
迷いなくの的確に、標的目がけて鋭く伸びる。
追われていた側にしてみれば、
突然湧き出した悪夢のような幻影が実体持ってて襲い掛かったようなもので、
「ひぃいっっ!」
避けたくっての悪あがきか、大慌ての体で腕を振るえば、
彼も異能者だったのか、何か礫のようなものが飛び出してきたけれど。
混乱中で集中出来ないせいか、それともそもそも大した威力じゃあなかったか、
ばらばらっと降っては来たが せいぜい小石が節分の豆レベルで飛んできたようなもの。
砂色外套の青年が繰り出した黒獣には何の歯止めにもなっておらずで、
勢いさえ落ちぬまま 相手へ追い着いてのぐるぐると足元へ絡みつき、
うひゃあと奇声を上げたまま転がったところを、一緒に追っていた眼鏡の長身さんが首根っこを押さえ、
「仲間も捕らえてあるぞ、観念するんだな。」
羽交い絞めにして手錠をかけて、捕縛は無事に終了と相成った。
ご近所の店屋やコンビニで、それぞれの異能を組み合わせての強盗を繰り返していたらしい小悪党ら。
高校生くらいの連中によるもので、持ち合わせているそれも大した異能ではなく、
市警でも何とか出来そうじゃああったが、
異能という要素が出て来るところを調書に記しにくかろうと、
丁度手隙だったのでと引き受けて、午前のジョギングがてらに対処したという寸法で。
他の手合いは既にとっ捕まえたものの、
目くらまし担当だった此奴だけ、一目散に逃げたので追っていた次第。
とりあえず、逮捕権限は警察にあるのでと、パトカーで追って来た所轄の警官らへ身柄を引き渡し、
調査書に確保時刻等々記している国木田や芥川の傍まで、
結局はあのまま後片づけに着手していたらしい谷崎と賢治がやってくる。
「便利ですねぇ、羅生門。」
何しろ軍警や異能特務課の依頼を受けて動く武装探偵社。
時にはヨコハマ全土や国家をも揺るがすような巨悪との対峙なんて大事にもかかわるらしいものの、
そんな一大事がそうそう頻繁に起こるものでなし。(…苦笑)
対人に於いては“容疑者を確保する”というのがお仕事の基本なので、
殺戮の牙なんてな物騒なことには繰り出したこともなく、
社でも高いところのものを取ったり何なら重い荷物の移動などに活躍しているとかで。
“我が身に降ってきた事態の方が非常識でとんでもなかったというのもな。”
平穏安寧な日々に身を置く今、
先日のすったもんだがどれほどとんでもなかったかと
時折しみじみと回想したりする禍狗さんだったりし。
今日の依頼、実働部分はこれにてお終いと、社屋の方へと戻ることとなり、
連れの一同を見回した国木田がふと、銀縁眼鏡を鏡面状態に光らせて訊いたのが、
「そういえば太宰はどうした。」
「あ、えっと…。」
共に一斉検挙へと出てきたはずのもう一人が、どのあたりからかその姿をまるッと消している。
当然とうに気付いていた芥川と谷崎がやや気おくれ気味に顔を見合わせ、
その傍らから賢治が朗らかに、
「朝の習慣の珈琲を忘れていたとかで、そちらへ向かわれました♪」
「ぬぁんだとぉう?」
平和だからこそなのだろうが、
あれほど頼もしかった教育係様、やっぱり平素はちゃらんぽらんなままのよう。
「いっそ貴様のその異能でぐるぐる巻きに出来ればな。」
「…無理です。」
「だよなぁ。」
「ですよね。」
後輩らの応じへぐぬぬと唸った国木田だったが、
何せ自分の異能で生み出すワイヤーさえ霧散させるチ―トな異能なのは百も承知。
忌々しいと言わんばかりに表情を歪めると、
「まったくもって面倒な異能だッ。」
そうと一声、これまたいつもの如く怒鳴ってしまわれたのだった。
強盗や事故などなど、物騒な事案はあれからも日々起きてはいるが、
今のところは裏社会がらみの騒動にもかかわらないまま
ある意味、ずんと安寧な毎日を過ごしている芥川で。
ポプラかクスノキかも知らない街路樹の、
まだ柔らかそうな緑の葉が、吹き付けた風にそよいでさわさわと躍る。
その下へ降る木洩れ日もゆらゆらと揺れる中、
直近の街路に慣れるのを兼ねて 教育係を探して来いと追い出されたそのまま、
ほぼ当てもないままに他人ばかりの雑踏の中を歩く。
名も知らぬ人ばかりなのだから当たり前ではあるが、以前に居た貧民街とは良くも悪くも温度が違うなぁと感じた。
あの町では誰が言うともなくの雰囲気みたいなものとして、むやみやたらと関わり合いになりたいとは思わず、
寝起きする範囲がかぶっていて顔馴染みとなっている相手でさえ、
詮索はためらわれてか本人へとあれこれ訊きほじるようなものは少なかった。
どんな過去を負っているか判ったものではなかったし総じて面倒はごめんだったから、
知りたければ周囲からというのが常套だったし、
妙に懐かれても困るとばかり、子供が相手でもつれなくて当たり前。
冷たいようだが、みんな今日を生き延びるのに一杯いっぱいだったから仕方がないと、
子供心に一番最初に覚えたのがそんな処世術だった絶望的な街。
あそこに比すれば、此処は明るく清潔で人懐っこい、それは目映い街並みだけれど、
居心地が悪くなるほど好奇の目が向けられるのはどうしたものか。
いつぞや太宰さんに連れられて席についたことのあるカフェに立ち寄り、
今日は来ていませんかと女給さんに尋ねてからなので、
もしかしてあの先達を知っていると話しかけたいのかなぁとも思うのだが、
視線を向けるとあたふたとそっぽを向かれるので、
どうにも気まずいというか落ち着けないというか。
自身の過敏さがうるさいと思える日がこようとはとうんざりしておれば、
「やあ。」
人通りの多い、にぎやかな大通りの一角。
アクセサリや小物を売る路面店の並ぶ傍で、それは気さくな声を掛けられた。
ギョッとしたのは聞き覚えのあったそれだったからで、
だが、装いは丁度別れたおりのそれに似た、白シャツに黒のクロップドパンツという初夏向けの軽いもの。
ズルズルと裾長なサイズの合わない外套姿の自分よりよほどに雰囲気に馴染んでおり、
銀色に近い白い髪に玻璃玉みたいな透いた双眸をキラキラさせて微笑う姿は、
それこそ光属性の天真爛漫を絵に描いたような存在にしか見えなくて。
「…何で裏社会随一な団体の秘密兵器が此処にいる。」
「言葉を選んでくれてありがとう。」
自分には非はなくとも 騒ぎが起きれば自分も巻き添えを食うケースというのも往々にしてあると、
選りにも選ってあのはた迷惑な教育係さんから身をもって教わったのがさっそく役に立った。
こんな開けたところで“ポートマフィア”なんて単語を口にしては不味いと、
威嚇用の罵倒句以外はまだまだ少々語彙が怪しい備蓄の中から
何とか無難な言い回しを選んで告げれば。
そんな物騒な組織の、しかも辣腕工作員であるにもかかわらず、
どちらかといや彼の側こそ一般人ですという様相の虎少年が ふにゃんと柔らかく微笑む。
ようよう見やれば、細っこいその肢体の後ろにはいつぞやの赤い和装の少女が隠れており。
こちらがそうと見やったと気づいたか薄い肩をびくりと震わせたものの、
「鏡花ちゃん、向こうで樋口さんが待ってるから。」
ああ、いつぞやもそう言ってその場から立ち去らせたなぁと彷彿とさせるような言い回しをし、
年少な、だが、彼女も恐らくは彼に勝るとも劣らぬ凄腕なのだろう
マフィア工作員の少女をやさしい声音で諭す敦で。
ようよう見やれば、可愛らしい包装紙にくるまれたクレープを大事そうに両手で抱えている少女であり、
敦とこちらを代わる代わる見やっていたものの、
うんと頷くとこちらに小さく頭を下げてから くるりと踵を返してあちらへと小走りに去ってゆく。
和装で長い振り分け髪という何とも愛らしい姿をした少女もまた、
周囲を行き交う人らから可愛いねぇという注目を集めており。
あれで秘密工作なんぞこなせるのかなぁ、ああでも先日は大活躍してたよなぁと、
もはや遠い日の幻扱いになっている一件ならしいと、妙な格好で再認識した芥川でもあったりした。
to be continued.(20.07.28.〜)
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*ちょっと長くなりそうなんで分けます。
ここからは 補完を兼ねたのんびりとした後日談ですのでご安心を。

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